【実体験】適応障害で休職する前の引継ぎはめちゃくちゃしんどいからオススメしない
こんにちは、ふじむーです。
この記事を見つけたあなたは、適応障害で休職することになり、引継ぎはどうすれば良いかと考えているところでしょうか。
結論から言います。
引継ぎはしない方が良いです。
では、その理由について、実際に適応障害で休職する前に引継ぎをした私が、その体験談を交えてお話します。
引継ぎをすることで、すでにボロボロの心身に追い打ちをかけてしまう
そもそも、休職が必要になるということは、すでにあなたは心身ともにボロボロで、仕事に支障が出ている(またはいつ支障が出てもおかしくない)状態ということです。
そこから更に引継ぎをして心身に負担をかければ、今よりもっと悪い状態になります。
回復に必要な期間が長引くばかりか、取り返しのつかないダメージを負ってしまうかもしれません。
でも、そうは言われても、なかなか受け入れられませんよね。
「自分はまだ働ける」「今、自分が急にいなくなったら、職場に迷惑がかかる」
私もそう思いました。
今のあなたと同じように、「引継ぎは必要ない」と書いてある記事を読みましたが、それでも私はすぐに休む勇気が持てませんでした。
だから、休職が必要だと医師に診断され、診断書をもらってから、5日間勤務しました。
そしてそれを激しく後悔しました。
引継ぎの間の5日間、以下のような症状がどんどん悪化していったからです。
- どんどん頭が回らなくなり、パソコンの文字も、紙資料も、ぼやけて頭に入らなくなる(元気だったときの5倍以上の時間をかけても、5分の1も内容が理解できませんでした)。
- やらなければならないことがわかっているのに、なかなか取り掛かれない。
- 考えがまとまらない。
- 手が震えて、うまく文字が書けない。
- 職場にいる間、冷や汗が止まらない。動悸がして、胸が苦しい。
- 昼休憩に入り、外に出ると、一気に力が抜けてとてつもない絶望感に襲われる。
- 仕事が終わってから、家の近くに来るまでの記憶がない。
- 体が鉛のように重く感じ、帰宅すると床に倒れこみ、しばらく動けなくなる。
いかがでしょうか。
客観的に見て、こんな状態の人には仕事を任せられませんよね。
症状は人によって違うと思いますが、今ここまでひどくない人でも、引継ぎの間にこれと同じかそれ以上に悪い状態になってしまうかもしれないんです。
このまま無理して働き続けていたら、通勤中や仕事中に動けなくなってしまったかもしれません。
完全に絶望して、命を絶つ選択をしてしまったかもしれません。
正直、勤務中もそれ以外の時間も、「死にたい」とはずっと思っていました。
前向きに考える能力がどんどん奪われていくんです。
仕事は、生きるためにお金を稼ぐ手段の一つに過ぎません。
仕事のために、自分をそんなところまで追い込む必要はないんです。
引継ぎしないと回らないなら、それは組織の問題
それでもやっぱり、職場に迷惑をかけてしまうことが気になるかもしれません。
仕方ないですよね。
それだけ責任感があるからこそ、自分をギリギリまで追い詰めてしまったのでしょう。
しかし、急に誰かがいなくなっても、滞りなく業務を進められるのが組織のあるべき姿なんです。
突発的な事故で入院することになったら、引継ぎなんてできませんよね。
そして、いつ誰がそうなるかなんて予測できません。
特定の誰かしか知らない・できない業務があったら、そんな事態に対応できません。
普段から、そんな不測の事態に対応できるようにしておかなければ、組織は存続できません。
だから、あなたが急に休職に入っても、問題ないんです。
急に誰かがいなくなっても、意外と仕事は回ります。
もしも仕事が回らなくなったとしたら、その責任は組織にあります。
それでも職場に迷惑をかけることが気になるなら、こう考えてみてください。
あなたが速やかに休職して、回復に専念すれば、それだけ職場に復帰できる日が早くなります。
心身ともに元気な状態で復帰することが、今のあなたにできる何よりの組織への貢献です。
休むことは、あなたのためだけではなく、組織のためにも必要なことなんです。
すぐに休職して心身を労ろう
以上の理由から、適応障害で休職が必要だと診断されたら、すぐに上司(または人事)に相談し、速やかに休職に入りましょう。
そうすることで、あなたが心身に受けるダメージを最小限に抑えることができます。
取り返しのつかないところまで自分を追い詰める必要はありません。
休職に入る段階では、今後のことを前向きに考えられないかもしれません。
それで大丈夫です。
回復したらそのまま復職するか、異動を願い出るか、転職するかなど、今後の人生を左右する大きな決断は、心身の状態が回復してからじっくり考えれば良いのです。
今のあなたが、自分のためにできる最良の決断は、しっかり休んで心身を労わることです。
頑張った自分を褒めてあげましょう。
そしてゆっくり休みましょう。
休職に入るのは勇気がいりますね。
もう一踏ん張りです。
ここまで頑張ってきて、そして自分のために決断するあなたを、私は応援しています。
社会人3年目になって、「変えられない大切」のために、どれだけ自分の生活を変えられるか考え始めた
社会人3年目。ある程度仕事に慣れてくることで、今後のキャリアについて考え始めるなど、悩みがちな時期である。ネットでも「社会人3年目の壁」というキーワードをよく目にする。
そして私も今、その壁にぶち当たって、思い悩んでいる。そんな中で考えたことを記事にしようと思う。
- 建前のために自分を殺すことが当たり前じゃなくなった
- 新型コロナウイルスで、今までの常識が崩れ去った
- 自分が生きていく上で、本当に大切なものってなんだろう
- 私にとっての「変えられない大切(=自分の考えや価値観)」を大事にする生き方とは
- 自分をコンテンツにして生きるブロガーという存在
- 「変えられない大切」のために、生活を変える覚悟
- そして、ブログを始めた
- 最後に伝えたいこと
建前のために自分を殺すことが当たり前じゃなくなった
社会人1年目の頃は、早く仕事に慣れようと一生懸命だった。周囲に過剰に合わせてばかりで、自分の気持ちや考えを言葉にしたり、行動に反映させることはほとんどなかった。
でもそれも長くは続かず、社会人3年目を迎える頃には、もっと自分の考えや価値観を大事にしたいと思うようになった。
そこに至るまでの経緯は↓の記事に詳しく書いてます(ごく個人的な話なので読まなくても大丈夫です)。
自分の考えや価値観を大事にしようと思うとどうなるか。
周囲に合わせることが、苦痛になった。
人と関わるときに、考えないといけないことが増えた。今、本音を出して良いのか。無難に合わせるべきなのか。本音と建前のメリットデメリットは。本務とは関係のない些細な人間関係のために、頭がパンクしそうなくらいぐるぐる動くようになった。
結果、職場にいる時間が、とてもつらくなってしまった。
新型コロナウイルスで、今までの常識が崩れ去った
また、新型コロナウイルスの影響でテレワークを導入する企業が増えるなど、今まで当たり前だった働き方が大きく変わった。平日5日間、朝から夕方まで拘束されるオフィスワークは、もはや当たり前ではなくなった。
長年続いた名店が、店を閉めざるを得なくなったというニュースもよく目にした。私の仕事だって、今後もずっと安泰である保証はない。毎日、紙の書類に上司のはんこ決裁をもらう働き方。IT技術は日に日に発展していくが、私の属する組織が変わるのはいつになるだろう。
もし仮に、定年までリストラされずに働けるとしても、私自身の気持ちや体力が定年まで持つかわからない。もし持たなくなったとき、時代遅れの働き方しか知らない私は、別の企業で十分な待遇が得られるのだろうか。不安というより、むしろ、このままでは生きていけないという確信に近いものを感じた。
自分が生きていく上で、本当に大切なものってなんだろう
今の仕事がしんどくなった。そして、今の仕事に依存して生きることはできないと思った。
じゃあ、自分はどうしたらいいんだろう。これからの人生をどうやって生きていこう。そこから考えなければならなくなった。
働き方・お金の稼ぎ方は、どんどん変わっていくだろう。それに、私には、武器にできるような特別な資格や職務経験も才能もない。そう思った。それなら、今それを仕事にできるかどうかを抜きにして、自分にとって本当に大切なことは何か考えようと思った。
答えは簡単だった。私にとって大切なのは、自分の考えや価値観だ。今までの、悩み続けた人生の結晶。それは私だけのもので、人に理解されなくても守りたい、唯一の宝物だ。
自分の考えや価値観を大事にして、自分らしい生き方がしたい。そう思った。
こんなことを考えているうちに、前回の記事でも取り上げた、SUPER BEAVERの「らしさ」の歌詞が頭をよぎった。
SUPER BEAVER「らしさ」 作詞作曲:柳沢亮太
だから 僕は僕らしく そして 君は君らしくって
始めから 探すような ものではないんだと思うんだ
社会人1年目でこの曲にハマったときには、実は、このあたりの歌詞はあまりピンときていなかった。でも今ふっと腑に落ちた。
私は、仕事を通して悩んで試行錯誤する中で、自分の考えや価値観を大事にしたいという気持ちに気づいた。そうすることが自分らしい生き方だと思った。自分らしさを探すつもりだったわけではなかったが、自然とそこに行き着いていた。
変えられない 大切があるから 変わりゆく 生活は正しい
また、この部分にもとても共感した。
社会人1年目の時には、私には、「変えられない大切」なんてなかった。
趣味もなく、絶対に欲しいものもなく、言葉も行動も周りに合わせて変えるのが当たり前だった。
でも今の私には、「変えられない大切」がある。
私にとっての「変えられない大切(=自分の考えや価値観)」を大事にする生き方とは
今、私は、平日5日間、朝から夕方まで(または夜遅くまで)、仕事のために時間と場所を拘束されている。そして、組織に属するということは、上の命令は絶対で、同僚とは助け合い、外部の人には「その組織の顔」として接さなければならない。
もちろん、自分の意見を言うことはできる。ただ、いつでもそれができるわけではないし、それが求められない場面も多い。
ごく普通の働き方だと思う。同じように働いている人が、この世界には数え切れないほどいて、それで今の社会は成り立っている。むしろ私の今の待遇は、非常に恵まれている方だと思う。
そんな客観的事実を飲み込んで、なんとか折り合いをつけて、同じように働き続けることもできるかもしれない。でも、私の気持ちはもう限界だ。
それなら私はどうやって生きる?どうやって生きたい?もっと踏み込んで、具体的に考えなくては。そう思って、インターネットでいろいろ検索した。なんて検索したら良いのかわからず、「仕事 辞めたい」みたいなワードで調べたりもした。
そこで私は、ブロガーとして生計をたてている人がいることを知った。
自分をコンテンツにして生きるブロガーという存在
ブログそのもののことは、もちろん知っていた。
何かに悩んだときには、同じ悩みを持つ人のブログを探して読んだ。小学生くらいのときに、本当にただの日記として、ブログを開設して記事を書いたこともあったと思う。ブログでアフィリエイト収入を得ている人がいることも一応知っていた。
でも、自分の職業の選択肢として考えたことは一度もなかった。
私は世間の「敷かれたレール」から何度か外れて生きてきたため、同年代の中では視野が広いほうだと思っていた。でも、井の中の蛙だった。私の思考も、気付かないうちに、ふわっとした「普通」とか「常識」みたいな空気の中で縛られていたのだ。
自分に実現可能かどうかはともかく、ブロガーも、ユーチューバーも、会社員も、それで生計を立てている人がいる以上、職業の選択肢として存在しているのに。十分な検討もせずに、知らず知らずのうちに選択肢を狭めてしまっていた。
改めて、ブロガーを職業として考えたとき、私はとても魅力的でワクワクする働き方だと思った。
自分の好きなこと、得意なことを発信して、お金を得る。
自分自身をブランド化している人もいる。
まさに、私が求めている、自分の考えや価値観を大事にできる働き方だ。
こんな働き方をしていた人がいるなんて…私は衝撃を受けた。
「変えられない大切」のために、生活を変える覚悟
自分がブロガーになったら、どんな人生が待っているか。想像してみた。
自分にとって大切な考えや価値観を軸にして、組織に埋没せずに個人として情報を発信する。それで生計を立てることができたら、なんて幸せな毎日だろうと思った。
でも、そんなに甘い世界ではないという情報も多い。1年書き続けて、数千円にしかならなかったという人もいる。そもそも、これまで個人として文章を書いて情報発信をした経験のない私に、記事を書き続けることができるのかもわからない。
「どうせ無理だよなあ…。」
そう諦めそうになった。
そんなとき、「らしさ」の歌詞が背中を押した。
変えられない 大切があるから 変わりゆく 生活は正しい
自分の選択を肯定されているように思えた。
現状維持では、大切なものを守れない。
変わるんだ。変わらなきゃいけない。
そして、ブログを始めた
こんな経緯で、私はブログを始めることにした。
「やっぱり無理だった」と思うかもしれない。でも、こうやって悩んで、決断して、自分の頭で考えて言葉をつむいで発信することに費やした時間は、決して無駄な時間だったとは思わないだろう。
それよりも、「どうせ無理」と、最初から諦めてしまう方が嫌だった。
思えば私の人生は、ずっと学習性無力感に支配されてきた。自分には何もできない。何をやっても無駄。そうやって諦めてばかりで、思い切った挑戦をしなかった。失敗を恐れていた。
だからこそ、もがきながらも、なんとか社会人を2年ちょっと続けてくることができたのかもしれない。そして、この2年ちょっとがあったから、組織の中で働き続けることが自分にとってどれだけ苦しいことか、はっきり理解できた。だから視野を広げて、ブロガーという新しい選択肢を見つけ、挑戦することができた。
すぐに今の仕事を辞めようとは思っていない。まずは、仕事を続けながら記事を書いて、自分がどれだけやれるか確かめようと思う。
その中で、また考えが変わることもあるかもしれない。その時は、またじっくり考えればいい。
最後に伝えたいこと
これが、「社会人3年目の壁」に当たって悩み抜いた末の私の結論です。
個人的な要素が多いので、これがそのまま参考になる人はあまりいないかもしれません。
ただ、誰にでも共通して伝えたいことがあります。
それは、悩んだときには「自分にとって本当に大切なことは何か」をぜひ考えてみて欲しい、ということです。
私はそこにたどり着くまでが長かったので、「こんな恵まれた環境で働いていてもしんどいなんて、自分はなんてダメなんだ」とか、「今の仕事も続けられないようじゃ、自分には生きてる意味がない」とか、自分を責めてばかりで、どんどん精神的に追い込まれていきました。
でも今は、そんなに自分を責める必要はなかったのではないかと思います。誰にでも得意不得意があって、大切にしたいものも違うのだから、生き方だって人によって違って当然です。組織で働くことが向いている人だってたくさんいます。個人ではなく組織だからこそ生み出せるものがあるし、個人ではできないような大きな仕事ができる。それはとても素晴らしいことです。
大切なのは、自分の生き方を、自分で考えて、自分で決めるということです。
「常識」とか、「周囲のプレッシャー」とか、人によって強さは違えど、知らず知らずのうちに自分の思考を制限しているものが、世の中にはたくさんあります。それも理解した上で、本当に自分がしたいことや求めていることは何か、一度考えてみてください。
社会人3年目になって、「理解されるための建前」より「理解されない宝物」を守りたいと思った
「社会人3年目の壁」。よく聞くけど、自分には関係ないだろうと思っていた。でも今、絶賛その壁にぶち当たっている。そんな中、社会人1年目の時にハマった曲を思い出した。今日は、社会人3年目の私が、その曲を通して考えたことを伝えようと思う。
- 仕事帰りにふと思い出した、社会人1年目の時に元気をもらった曲
- 私にとって、「理解されない宝物」ってなんだったっけ?
- 建前だけで生きていた日々
- もう、自分に嘘をつきたくない。ちゃんと考えて、自分の言葉で話したい。
- 自分の気持ちが変えた行動
- 「宝物」が何なのか忘れたのは、それを大事にすることが当たり前になったから
仕事帰りにふと思い出した、社会人1年目の時に元気をもらった曲
仕事からの帰り道、その日はなんとなく、ちょっとした冒険がしたくなって、「いつも降りるバス停で降りなかったら、どこまで行っちゃうんだろう。」とかつまらない好奇心で、やたら遠くまで連れて行かれて、家までだいぶ長く歩く羽目になってしまった。その時に、なぜかふと、ある曲の歌詞を思い出した。
SUPER BEAVERの「らしさ」という曲だ。
僕らは変わっていく 守りたいものが変わっていく
理解されない宝物から 理解されるための建前へ
SUPER BEAVER「らしさ」 作詞作曲:柳沢亮太
すごく懐かしい気持ちになった。社会人1年目の時に、ひどくハマって、何十回と聴いた曲だからだ。HSP(非常に繊細な人)の気質のせいか、私にとって音楽は雑音であることが多い。だから滅多に聴かない。私が音楽にハマるのは、その曲の歌詞やメロディがよほどその時の心情に合ったときだけだ。だから数少ない好きな曲として、この曲はすごく印象に残っている。
しばらく感傷にひたった後、ふと、ある疑問がわいてきた。
私にとって、「理解されない宝物」ってなんだったっけ?
衝撃だった。あんなに共感していたはずの歌詞なのに、私は自分にとっての「理解されない宝物」が何だったのか忘れてしまっていた。
思い出そうと必死に考えた。頭をよぎったのは、「もう、思い出すこともできなくなるほど、割り切って諦めてしまったのか?」という疑問。そこまで私は仕事のために自分を殺してしまったのか。
でも違った。忘れてしまったのは、「理解されない宝物」を守ることが、自分にとって当たり前になってきていたからだ。
私にとっての「宝物」は、自分の考え、価値観だ。苦しんで、もがいて、その中で獲得し、良くも悪くも自分の中に蓄積していったものの結晶だからだ。
別に、私の考えや価値観が全て人に理解されないものというわけではない。ただ、HSPという気質や家庭環境など、様々な要因で「一般的とされている」価値観からズレている部分も多いと思う。
例えば私は、結婚も出産もしたくないと思っている。でも世間では、結婚や出産をすることが幸せのテンプレートみたいに扱われている。だから、同僚や知り合ったばかりの人とそういう話題になった時、私はあいまいに笑って適当な相づちを打って流していた。「いつ結婚するの?」と聞かれれば、「お互いもう少し仕事を続けて安定してからですかね」と答えたり、「子どもを産むなら早い方が、子どももお母さんが若くて嬉しいよね」と言われて「そうですね」と流したり。そんな受け答えが本当に求められているのかは分からないし、案外本音を言っても平然と受け止められるのかもしれない。でもコミュニケーション能力が低いことを自覚している私は、いちいち波風を立てたくなくて、いちいち余計なことを考えたくなくて、頭の中に作り出した「ごく普通の女子」が言いそうなセリフを吐き出すことが習慣になっていった。そうやって私は、「理解されるための建前」を守ることで、平穏な人間関係を保とうとしていた。
建前だけで生きていた日々
何にも考えず、「普通っぽいこと」を言うのは、すごく楽だった。高校生の頃からずっとそうしてきた。そうすれば、ひねくれたコミュ障の私でも、人と「それっぽい会話」をすることができた。そんなことを続けるうちに、だんだん、本当に何も考えなくなっていった。考えるより先に、口から「それっぽい言葉」が出るようになっていった。しばらくはそれで良かった。そんな自分に満足していた。
それも長くは続かなかった。
社会人2年目になっても、私は友達ができなかった。さすがにちょっと焦り始めた。でも、当たり前だとも思った。私が話すときに出る言葉は、私の脳内にいる仮想の「ごく普通の女子」が言いそうな言葉であって、私という個人の言葉ではないからだ。仲良くなろうと話しかけてくれる人がいても、つい避けてしまう。本音を言えない人間関係は疲れるだけだから。でも、建前の自分に近づいた人に本音を話すのは怖い。引かれるかもしれない。嫌われるかもしれない。自己肯定感の低い私にとって、それは想像するだけで恐ろしいことだった。本音を話すということは、本当の自分をさらけ出すということ。それが否定されることは、自分自身が否定されるということ。そう思ってしまった。
だから、しばらく私は変わらずにいた。建前の自分で生きながら、「いつかこんな私にも、相性ピッタリの友達が見つかったらいいな。」なんて思っていたのかもしれない。今思えば、そんなの、買ってもいない宝くじが当たることを期待するようなものだ。
そんな日々が続くうちに、だんだん、ふつふつと、アレルギーみたいに、ある感情が湧き上がってきた。
もう、自分に嘘をつきたくない。ちゃんと考えて、自分の言葉で話したい。
建前のために本音を殺し続けるのには限界があった。思ってもいないことを言うたびに、心も体もぞわぞわして、気持ち悪くなるようになった。理由はわからない。でも、さすがになんとかしないといけないと思った。そこから私は、少しずつ、本音を言う機会を増やすように心がけた。さすがに、最初から建前を全部壊して本音だけ話すことはできなかった。
まずは、耳から入ってきた相手の言葉に対して、反射するようにただ口だけ動かすのを止めないといけなかった。
聞いた言葉を、頭で理解して、自分の気持ちを考えて、返答する、というごく当たり前のはずのプロセスが、当時の私にはとてつもなく煩雑だった。
最初は「好きな食べ物は?」みたいな、どうでも良い質問から、ちゃんと考えて返答するようにしていった(ちなみに私の好きな食べ物は、ハンバーグとか唐揚げとかごく普通の食べ物だ。だからそもそも嘘をつく必要なんて無かったのだが、建前だけで生きていた私は、そんなつまらないことですら本音を言えなかった)。
そうやって、ちょっとずつ、ちょっとずつ練習して、建前が必要な時以外は本音を言うようになった。
言動が変わったら、行動も変わってきた。
行動にも自分の気持ちを反映するようになっていった。
自分の気持ちが変えた行動
就職してからずっと、昼休憩の時間は、女子休憩室でご飯を食べていた。同じ時間に休憩する女性の同僚がいれば、一緒に食べていた。でもそれがすごくストレスだった。たった1時間しかない休憩時間くらい、何にも考えずにリラックスしたかった。気ままにネットサーフィンとかLINEとかしたかった。しかしそれは叶わなかった。同僚の女性は全員が話好きで、休憩時間が合えば、ひっきりなしに話題を振ってくる。早く職場に馴染みたいと思っていた頃は話しかけてもらえることがありがたかったが、次第に煩わしくなってしまっていた(ごめんなさい)。
ストレスがピークに達し、ある時、1人で外の飲食店にランチを食べに行った。その時は、「昼休憩を同僚と一緒に過ごすことすらできないなんて、私はなんてダメなんだ」と落ち込んだ。しかし、そうやって1人で食べる日がだんだん増えていった。外に食べに行くのは私だけだった。だから、同僚にどう思われているんだろうとよく考えた。避けてると思われてるかも、だとしたら私、印象悪いなあ、とか。でも、つい最近になってそれも慣れてきた。私は、つらい仕事の合間に、誰のことも気にせずに落ち着ける1時間を手に入れた。
「宝物」が何なのか忘れたのは、それを大事にすることが当たり前になったから
私の変化は、他人からすればすごく些細で、どうでも良いことかもしれない。
好きな食べ物を聞かれて「唐揚げ」と答えたり、仕事の合間の昼ごはんを1人で外に出て食べるようになったり。
でも、私にとっては、天地がひっくり返るくらい大きな変化だ。
建前のために犠牲にするのが当たり前だった自分の考えや価値観を、尊重できるようになったのだ。しかも、ごく自然に。
それはとても良いことだと思う。
だが一方で、そのことが「社会人3年目の壁」を生んだ。
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