社会人3年目になって、「変えられない大切」のために、どれだけ自分の生活を変えられるか考え始めた
社会人3年目。ある程度仕事に慣れてくることで、今後のキャリアについて考え始めるなど、悩みがちな時期である。ネットでも「社会人3年目の壁」というキーワードをよく目にする。
そして私も今、その壁にぶち当たって、思い悩んでいる。そんな中で考えたことを記事にしようと思う。
- 建前のために自分を殺すことが当たり前じゃなくなった
- 新型コロナウイルスで、今までの常識が崩れ去った
- 自分が生きていく上で、本当に大切なものってなんだろう
- 私にとっての「変えられない大切(=自分の考えや価値観)」を大事にする生き方とは
- 自分をコンテンツにして生きるブロガーという存在
- 「変えられない大切」のために、生活を変える覚悟
- そして、ブログを始めた
- 最後に伝えたいこと
建前のために自分を殺すことが当たり前じゃなくなった
社会人1年目の頃は、早く仕事に慣れようと一生懸命だった。周囲に過剰に合わせてばかりで、自分の気持ちや考えを言葉にしたり、行動に反映させることはほとんどなかった。
でもそれも長くは続かず、社会人3年目を迎える頃には、もっと自分の考えや価値観を大事にしたいと思うようになった。
そこに至るまでの経緯は↓の記事に詳しく書いてます(ごく個人的な話なので読まなくても大丈夫です)。
自分の考えや価値観を大事にしようと思うとどうなるか。
周囲に合わせることが、苦痛になった。
人と関わるときに、考えないといけないことが増えた。今、本音を出して良いのか。無難に合わせるべきなのか。本音と建前のメリットデメリットは。本務とは関係のない些細な人間関係のために、頭がパンクしそうなくらいぐるぐる動くようになった。
結果、職場にいる時間が、とてもつらくなってしまった。
新型コロナウイルスで、今までの常識が崩れ去った
また、新型コロナウイルスの影響でテレワークを導入する企業が増えるなど、今まで当たり前だった働き方が大きく変わった。平日5日間、朝から夕方まで拘束されるオフィスワークは、もはや当たり前ではなくなった。
長年続いた名店が、店を閉めざるを得なくなったというニュースもよく目にした。私の仕事だって、今後もずっと安泰である保証はない。毎日、紙の書類に上司のはんこ決裁をもらう働き方。IT技術は日に日に発展していくが、私の属する組織が変わるのはいつになるだろう。
もし仮に、定年までリストラされずに働けるとしても、私自身の気持ちや体力が定年まで持つかわからない。もし持たなくなったとき、時代遅れの働き方しか知らない私は、別の企業で十分な待遇が得られるのだろうか。不安というより、むしろ、このままでは生きていけないという確信に近いものを感じた。
自分が生きていく上で、本当に大切なものってなんだろう
今の仕事がしんどくなった。そして、今の仕事に依存して生きることはできないと思った。
じゃあ、自分はどうしたらいいんだろう。これからの人生をどうやって生きていこう。そこから考えなければならなくなった。
働き方・お金の稼ぎ方は、どんどん変わっていくだろう。それに、私には、武器にできるような特別な資格や職務経験も才能もない。そう思った。それなら、今それを仕事にできるかどうかを抜きにして、自分にとって本当に大切なことは何か考えようと思った。
答えは簡単だった。私にとって大切なのは、自分の考えや価値観だ。今までの、悩み続けた人生の結晶。それは私だけのもので、人に理解されなくても守りたい、唯一の宝物だ。
自分の考えや価値観を大事にして、自分らしい生き方がしたい。そう思った。
こんなことを考えているうちに、前回の記事でも取り上げた、SUPER BEAVERの「らしさ」の歌詞が頭をよぎった。
SUPER BEAVER「らしさ」 作詞作曲:柳沢亮太
だから 僕は僕らしく そして 君は君らしくって
始めから 探すような ものではないんだと思うんだ
社会人1年目でこの曲にハマったときには、実は、このあたりの歌詞はあまりピンときていなかった。でも今ふっと腑に落ちた。
私は、仕事を通して悩んで試行錯誤する中で、自分の考えや価値観を大事にしたいという気持ちに気づいた。そうすることが自分らしい生き方だと思った。自分らしさを探すつもりだったわけではなかったが、自然とそこに行き着いていた。
変えられない 大切があるから 変わりゆく 生活は正しい
また、この部分にもとても共感した。
社会人1年目の時には、私には、「変えられない大切」なんてなかった。
趣味もなく、絶対に欲しいものもなく、言葉も行動も周りに合わせて変えるのが当たり前だった。
でも今の私には、「変えられない大切」がある。
私にとっての「変えられない大切(=自分の考えや価値観)」を大事にする生き方とは
今、私は、平日5日間、朝から夕方まで(または夜遅くまで)、仕事のために時間と場所を拘束されている。そして、組織に属するということは、上の命令は絶対で、同僚とは助け合い、外部の人には「その組織の顔」として接さなければならない。
もちろん、自分の意見を言うことはできる。ただ、いつでもそれができるわけではないし、それが求められない場面も多い。
ごく普通の働き方だと思う。同じように働いている人が、この世界には数え切れないほどいて、それで今の社会は成り立っている。むしろ私の今の待遇は、非常に恵まれている方だと思う。
そんな客観的事実を飲み込んで、なんとか折り合いをつけて、同じように働き続けることもできるかもしれない。でも、私の気持ちはもう限界だ。
それなら私はどうやって生きる?どうやって生きたい?もっと踏み込んで、具体的に考えなくては。そう思って、インターネットでいろいろ検索した。なんて検索したら良いのかわからず、「仕事 辞めたい」みたいなワードで調べたりもした。
そこで私は、ブロガーとして生計をたてている人がいることを知った。
自分をコンテンツにして生きるブロガーという存在
ブログそのもののことは、もちろん知っていた。
何かに悩んだときには、同じ悩みを持つ人のブログを探して読んだ。小学生くらいのときに、本当にただの日記として、ブログを開設して記事を書いたこともあったと思う。ブログでアフィリエイト収入を得ている人がいることも一応知っていた。
でも、自分の職業の選択肢として考えたことは一度もなかった。
私は世間の「敷かれたレール」から何度か外れて生きてきたため、同年代の中では視野が広いほうだと思っていた。でも、井の中の蛙だった。私の思考も、気付かないうちに、ふわっとした「普通」とか「常識」みたいな空気の中で縛られていたのだ。
自分に実現可能かどうかはともかく、ブロガーも、ユーチューバーも、会社員も、それで生計を立てている人がいる以上、職業の選択肢として存在しているのに。十分な検討もせずに、知らず知らずのうちに選択肢を狭めてしまっていた。
改めて、ブロガーを職業として考えたとき、私はとても魅力的でワクワクする働き方だと思った。
自分の好きなこと、得意なことを発信して、お金を得る。
自分自身をブランド化している人もいる。
まさに、私が求めている、自分の考えや価値観を大事にできる働き方だ。
こんな働き方をしていた人がいるなんて…私は衝撃を受けた。
「変えられない大切」のために、生活を変える覚悟
自分がブロガーになったら、どんな人生が待っているか。想像してみた。
自分にとって大切な考えや価値観を軸にして、組織に埋没せずに個人として情報を発信する。それで生計を立てることができたら、なんて幸せな毎日だろうと思った。
でも、そんなに甘い世界ではないという情報も多い。1年書き続けて、数千円にしかならなかったという人もいる。そもそも、これまで個人として文章を書いて情報発信をした経験のない私に、記事を書き続けることができるのかもわからない。
「どうせ無理だよなあ…。」
そう諦めそうになった。
そんなとき、「らしさ」の歌詞が背中を押した。
変えられない 大切があるから 変わりゆく 生活は正しい
自分の選択を肯定されているように思えた。
現状維持では、大切なものを守れない。
変わるんだ。変わらなきゃいけない。
そして、ブログを始めた
こんな経緯で、私はブログを始めることにした。
「やっぱり無理だった」と思うかもしれない。でも、こうやって悩んで、決断して、自分の頭で考えて言葉をつむいで発信することに費やした時間は、決して無駄な時間だったとは思わないだろう。
それよりも、「どうせ無理」と、最初から諦めてしまう方が嫌だった。
思えば私の人生は、ずっと学習性無力感に支配されてきた。自分には何もできない。何をやっても無駄。そうやって諦めてばかりで、思い切った挑戦をしなかった。失敗を恐れていた。
だからこそ、もがきながらも、なんとか社会人を2年ちょっと続けてくることができたのかもしれない。そして、この2年ちょっとがあったから、組織の中で働き続けることが自分にとってどれだけ苦しいことか、はっきり理解できた。だから視野を広げて、ブロガーという新しい選択肢を見つけ、挑戦することができた。
すぐに今の仕事を辞めようとは思っていない。まずは、仕事を続けながら記事を書いて、自分がどれだけやれるか確かめようと思う。
その中で、また考えが変わることもあるかもしれない。その時は、またじっくり考えればいい。
最後に伝えたいこと
これが、「社会人3年目の壁」に当たって悩み抜いた末の私の結論です。
個人的な要素が多いので、これがそのまま参考になる人はあまりいないかもしれません。
ただ、誰にでも共通して伝えたいことがあります。
それは、悩んだときには「自分にとって本当に大切なことは何か」をぜひ考えてみて欲しい、ということです。
私はそこにたどり着くまでが長かったので、「こんな恵まれた環境で働いていてもしんどいなんて、自分はなんてダメなんだ」とか、「今の仕事も続けられないようじゃ、自分には生きてる意味がない」とか、自分を責めてばかりで、どんどん精神的に追い込まれていきました。
でも今は、そんなに自分を責める必要はなかったのではないかと思います。誰にでも得意不得意があって、大切にしたいものも違うのだから、生き方だって人によって違って当然です。組織で働くことが向いている人だってたくさんいます。個人ではなく組織だからこそ生み出せるものがあるし、個人ではできないような大きな仕事ができる。それはとても素晴らしいことです。
大切なのは、自分の生き方を、自分で考えて、自分で決めるということです。
「常識」とか、「周囲のプレッシャー」とか、人によって強さは違えど、知らず知らずのうちに自分の思考を制限しているものが、世の中にはたくさんあります。それも理解した上で、本当に自分がしたいことや求めていることは何か、一度考えてみてください。