なやみすと

HSPの23歳女子が人生を綴るブログ

社会人3年目になって、「理解されるための建前」より「理解されない宝物」を守りたいと思った

「社会人3年目の壁」。よく聞くけど、自分には関係ないだろうと思っていた。でも今、絶賛その壁にぶち当たっている。そんな中、社会人1年目の時にハマった曲を思い出した。今日は、社会人3年目の私が、その曲を通して考えたことを伝えようと思う。

 

  

仕事帰りにふと思い出した、社会人1年目の時に元気をもらった曲

仕事からの帰り道、その日はなんとなく、ちょっとした冒険がしたくなって、「いつも降りるバス停で降りなかったら、どこまで行っちゃうんだろう。」とかつまらない好奇心で、やたら遠くまで連れて行かれて、家までだいぶ長く歩く羽目になってしまった。その時に、なぜかふと、ある曲の歌詞を思い出した。

 

SUPER BEAVERの「らしさ」という曲だ。

 

 

僕らは変わっていく 守りたいものが変わっていく

理解されない宝物から 理解されるための建前へ

SUPER BEAVER「らしさ」 作詞作曲:柳沢亮太

 

すごく懐かしい気持ちになった。社会人1年目の時に、ひどくハマって、何十回と聴いた曲だからだ。HSP(非常に繊細な人)の気質のせいか、私にとって音楽は雑音であることが多い。だから滅多に聴かない。私が音楽にハマるのは、その曲の歌詞やメロディがよほどその時の心情に合ったときだけだ。だから数少ない好きな曲として、この曲はすごく印象に残っている。

しばらく感傷にひたった後、ふと、ある疑問がわいてきた。

 

私にとって、「理解されない宝物」ってなんだったっけ?

衝撃だった。あんなに共感していたはずの歌詞なのに、私は自分にとっての「理解されない宝物」が何だったのか忘れてしまっていた。

思い出そうと必死に考えた。頭をよぎったのは、「もう、思い出すこともできなくなるほど、割り切って諦めてしまったのか?」という疑問。そこまで私は仕事のために自分を殺してしまったのか。

でも違った。忘れてしまったのは、「理解されない宝物」を守ることが、自分にとって当たり前になってきていたからだ。

 

私にとっての「宝物」は、自分の考え、価値観だ。苦しんで、もがいて、その中で獲得し、良くも悪くも自分の中に蓄積していったものの結晶だからだ。

別に、私の考えや価値観が全て人に理解されないものというわけではない。ただ、HSPという気質や家庭環境など、様々な要因で「一般的とされている」価値観からズレている部分も多いと思う。

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私にとって「一般的とされている」価値観の典型

例えば私は、結婚も出産もしたくないと思っている。でも世間では、結婚や出産をすることが幸せのテンプレートみたいに扱われている。だから、同僚や知り合ったばかりの人とそういう話題になった時、私はあいまいに笑って適当な相づちを打って流していた。「いつ結婚するの?」と聞かれれば、「お互いもう少し仕事を続けて安定してからですかね」と答えたり、「子どもを産むなら早い方が、子どももお母さんが若くて嬉しいよね」と言われて「そうですね」と流したり。そんな受け答えが本当に求められているのかは分からないし、案外本音を言っても平然と受け止められるのかもしれない。でもコミュニケーション能力が低いことを自覚している私は、いちいち波風を立てたくなくて、いちいち余計なことを考えたくなくて、頭の中に作り出した「ごく普通の女子」が言いそうなセリフを吐き出すことが習慣になっていった。そうやって私は、「理解されるための建前」を守ることで、平穏な人間関係を保とうとしていた。

 

建前だけで生きていた日々

何にも考えず、「普通っぽいこと」を言うのは、すごく楽だった。高校生の頃からずっとそうしてきた。そうすれば、ひねくれたコミュ障の私でも、人と「それっぽい会話」をすることができた。そんなことを続けるうちに、だんだん、本当に何も考えなくなっていった。考えるより先に、口から「それっぽい言葉」が出るようになっていった。しばらくはそれで良かった。そんな自分に満足していた。

それも長くは続かなかった。

社会人2年目になっても、私は友達ができなかった。さすがにちょっと焦り始めた。でも、当たり前だとも思った。私が話すときに出る言葉は、私の脳内にいる仮想の「ごく普通の女子」が言いそうな言葉であって、私という個人の言葉ではないからだ。仲良くなろうと話しかけてくれる人がいても、つい避けてしまう。本音を言えない人間関係は疲れるだけだから。でも、建前の自分に近づいた人に本音を話すのは怖い。引かれるかもしれない。嫌われるかもしれない。自己肯定感の低い私にとって、それは想像するだけで恐ろしいことだった。本音を話すということは、本当の自分をさらけ出すということ。それが否定されることは、自分自身が否定されるということ。そう思ってしまった。

だから、しばらく私は変わらずにいた。建前の自分で生きながら、「いつかこんな私にも、相性ピッタリの友達が見つかったらいいな。」なんて思っていたのかもしれない。今思えば、そんなの、買ってもいない宝くじが当たることを期待するようなものだ。

そんな日々が続くうちに、だんだん、ふつふつと、アレルギーみたいに、ある感情が湧き上がってきた。

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湧き上がってきた感情とは

 

もう、自分に嘘をつきたくない。ちゃんと考えて、自分の言葉で話したい。

建前のために本音を殺し続けるのには限界があった。思ってもいないことを言うたびに、心も体もぞわぞわして、気持ち悪くなるようになった。理由はわからない。でも、さすがになんとかしないといけないと思った。そこから私は、少しずつ、本音を言う機会を増やすように心がけた。さすがに、最初から建前を全部壊して本音だけ話すことはできなかった。

まずは、耳から入ってきた相手の言葉に対して、反射するようにただ口だけ動かすのを止めないといけなかった。

聞いた言葉を、頭で理解して、自分の気持ちを考えて、返答する、というごく当たり前のはずのプロセスが、当時の私にはとてつもなく煩雑だった。

最初は「好きな食べ物は?」みたいな、どうでも良い質問から、ちゃんと考えて返答するようにしていった(ちなみに私の好きな食べ物は、ハンバーグとか唐揚げとかごく普通の食べ物だ。だからそもそも嘘をつく必要なんて無かったのだが、建前だけで生きていた私は、そんなつまらないことですら本音を言えなかった)。

そうやって、ちょっとずつ、ちょっとずつ練習して、建前が必要な時以外は本音を言うようになった。

言動が変わったら、行動も変わってきた。

行動にも自分の気持ちを反映するようになっていった。

 

自分の気持ちが変えた行動

就職してからずっと、昼休憩の時間は、女子休憩室でご飯を食べていた。同じ時間に休憩する女性の同僚がいれば、一緒に食べていた。でもそれがすごくストレスだった。たった1時間しかない休憩時間くらい、何にも考えずにリラックスしたかった。気ままにネットサーフィンとかLINEとかしたかった。しかしそれは叶わなかった。同僚の女性は全員が話好きで、休憩時間が合えば、ひっきりなしに話題を振ってくる。早く職場に馴染みたいと思っていた頃は話しかけてもらえることがありがたかったが、次第に煩わしくなってしまっていた(ごめんなさい)。

ストレスがピークに達し、ある時、1人で外の飲食店にランチを食べに行った。その時は、「昼休憩を同僚と一緒に過ごすことすらできないなんて、私はなんてダメなんだ」と落ち込んだ。しかし、そうやって1人で食べる日がだんだん増えていった。外に食べに行くのは私だけだった。だから、同僚にどう思われているんだろうとよく考えた。避けてると思われてるかも、だとしたら私、印象悪いなあ、とか。でも、つい最近になってそれも慣れてきた。私は、つらい仕事の合間に、誰のことも気にせずに落ち着ける1時間を手に入れた。

 

「宝物」が何なのか忘れたのは、それを大事にすることが当たり前になったから

私の変化は、他人からすればすごく些細で、どうでも良いことかもしれない。

好きな食べ物を聞かれて「唐揚げ」と答えたり、仕事の合間の昼ごはんを1人で外に出て食べるようになったり。

でも、私にとっては、天地がひっくり返るくらい大きな変化だ。

建前のために犠牲にするのが当たり前だった自分の考えや価値観を、尊重できるようになったのだ。しかも、ごく自然に。

それはとても良いことだと思う。

 

 

 

だが一方で、そのことが「社会人3年目の壁」を生んだ。

 

続きは↓こちらの記事で 

fujimuu.hatenablog.com